輝ける闇

輝ける闇 (新潮文庫)

輝ける闇 (新潮文庫)

川は生温かく息づき、湖と藻の匂いがした。無気力が私を包囲し、しめつけていた。滅形が起こって私はパイプ椅子の背にもたれかかっていた。冷えきって、ぼんやりとし、荒んだ河原のようだった。轟音も光輝もよそよそしくてけだるいものに感じられた。柱に吊るされた提灯がもう少し明るければ素娥(トーガ)は私の顔を見て箸をとめることだろう。自分がどんな様子でいるか、いえそうであった。何度も鏡で見て知っている。すくんで、けわしく、魚のような眼をし、どこか正視したくない卑賤さのある顔だ。孤独はなぜあのような賤しさを蠅の卵のように人の顔に産みつけるのだろうか。一人でいるときにも人まじわりしているときにもふいにいっさいの意味と時間が私から剥落する。理由もなく、予兆もない。慣れることもできず、飼うこともできない。それが起こればどこかへいって、私は人目を避け、崩れるままに崩れるしかない。街角。劇場。料理店。オフィス。靴音のなかでも計算機のとどろくなかでも私はおなじ病気に犯されている人をすばやく嗅ぎあてる。ときには発作におそわれているさなかの人の顔を見ることもある。まるで手術をうけるようにその時間のすぎるのを瞑目して待っている熟練家もいる。けれど、どの顔も、何かしら賤しいところがある。ぞッとして眼をそむけたくなる。自分もそんな顔をしているかと思うと耐えられない気がする。病人たちはけっして憐れみあわず、むしろ厭いあい、さげすみあう。私たちはたがいに不可蝕の賤民だ。


開高健のそれとまではいかないにしても、さすがに一年近くも一人旅をしていると、たまにどうしようもなく寂しくなる時がある。そんな時は何を見ても何も感じない。何を食べても何も感じない。心にポッカリ穴が開いたようになる。その穴に試しに1リットルぐらいのビールを流し込んでみても、それは音もなく吸収されるだけで穴はこれっぽっちも埋まらない。

日本で友達や家族と過ごした楽しかったひと時を思い出す。少し泣いてみようか。泣いたっていいんだよと自分に言ってみるが、そんなにタイミングよく涙は出てこない。

でもこの孤独にうちひしがれた時に頭に浮かんだ人たちこそが、僕にとって大切で、一生大事にしていかなきゃならないんだと思う。それがわかったのは大きな収穫だと思う。