Do nothing

マラケシュの喧騒と暑熱を避けるために1泊2日でCascadesd'Ouzoudという街に出かけた。小さな滝があり、川沿いにキャンプ場やカフェが並ぶその街で2日間のんびりした時を過ごした。

川沿いのカフェで川で遊ぶ人たちを見るとなしに見、何かについて考えるとなしに考え、浮かんでくる考えをそのまま浮かぶままにし、ただぼーっとしていたら、「ナッシングをする」とはまさにこのことを言うんじゃないだろうか、という考えが突然浮かんできた。

英語で「何もしない」は”Do nothing”(ナッシングをする)と言う。

ここに来ている人たちは、本を読んだり人と話したり、泳ぎたくなったら川に入って泳ぎ、歌いたい者は歌い、楽器を鳴らしたい者は鳴らし、腹が減ったら何かを食べるといった、思い思いのことをしているが、どれももし人に「そこで何してたの?」ときかれたら「特に何も・・・」と答えてしまうようなことばかりだ。

とりたてて重要なことではないけれど、決っして何もしていないわけではなく、どうでもいいようなことを何となーくする。これこそ「ナッシングをする」ということではないだろうか。

短期間で名所旧跡をまわれるだけまわる旅行をする日本人は多いが、1日中ビーチで何もせずに過ごすといったバカンス型の旅行をする日本人は欧米人に比べるとはるかに少ない。これはただ単に日本人は休みが少ないからという理由だけではなくて、”ナッシングをする”という言いまわしを持ってないからではないだろうか。


この考えはあまりにも突然に、まるでこの世の真理のひとつが空から降りてきたかのように頭に浮かんだので、あわててメモをとろうとしたが、その時僕はこの”何もしない”を楽しんでる時にメモなんかとるのはもったいないなと思もい、そのままにしておいた。

でもこうして思い出して書き出してみるとこの世の真理にはほど遠い、陳腐な考えに見えるのがなんだか悲しい。