世界一周幸福論(あとがきにかえて)

世界一周達成目前の所から精神世界まで広がりをみせた約1年11ヶ月の旅が終わり、日本に帰国して、気付けばもう3週間が経った。


この3週間は、人と会ったり、新しい生活の準備をしたり、旅の写真をまとめたり、久しぶりにネットにどっぷり浸かってその変化を感じたり、読みたい本を読んだりしていたらあっという間に過ぎてしまった。


あまり旅の余韻に浸っている時間は無かったけど、旅を終えた後の生き方については、旅中にある程度考えていたのでそれに従って生きていこうと思う。


その生き方というのは結局のところ、「あるがままを受け入れ、与えられた状況に対し真摯に向きあっていこう」というもの。自分は自分でしかないので他人と比較してもしょうがない。この先どんな困難が自分自身に振りかかってきたとしても、それは自分自身を成長させるための試練なのだから甘んじて受けよう。でも変化は恐れずにいく。というもの。



近況報告はこのくらいにして旅のまとめをしようと思うんだけど何からまとめようか。


Dr.ハンセンのヒーリングセンター*1でのスピリチュアル・ヒーリング体験についても少しまとめておいた方がいいのかな。


「結局腰は治ったの?」とよく聞かれるけど、はい、調子はいいです。ただブラジルに行った時点で腰の痛みは殆どひいていたから、劇的な効果を実感するには至っていない。確かにここ1、2年常に抱いていた「腰に爆弾を抱えている感」はなくなったけど、「気のせいじゃないの?」と言われると「そうなのかも」と思ってしまう。


「結局本当だったの?」みたいなことも聞かれるけど、僕にDr.ハンセンのヒーリングセンターを教えてくれたケンジ君の話(http://d.hatena.ne.jp/tyuzo/20070423#p1)は、細部に若干の相違はあったけど大筋では間違いでなかった。(別にケンジ君の話を疑っていたわけではないけど)


しかし、実際にDr.ハンセンに会って治療を受け、直接Dr.ハンセンからでないにしても色々な話を聞いたが、その全てを完全に信じたわけではない。まあDr.ハンセンや彼に近い人がそういうならそれは本当のことなんだろうなと思えるけど、実感を持って信じることができなかったことも多かった。


それでも以前は信じていなかったことで、

  • 霊の存在
  • 人間が持つ霊的身体の存在

の2つは、実体験を持って信じてもよさそうだなと思った。


これらはDr.ハンセンの遠隔手術(http://d.hatena.ne.jp/tyuzo/20070801#p1)を受けたことによって、確実に存在しているように感じた。指定された時間に霊が手術しに行くので寝て待っていなさいと言われ、誰もいない部屋でひとりベッドに寝て待っていると、体に変化を感じ、錯覚とは到底思えないリアルな痛みを感じた体験によってである。霊的身体とは、気だとか、オーラだとか、ヒューマン・エネルギー・フィールドだとか、アストラル体とか、エーテル体とか、色々な呼ばれ方がするけど、要するに人間の肉体のまわりにもやもやと漂っているもので、それがないとDr.ハンセンのヒーリングの説明がつかないので、これも実際に存在するのではないかと思う。


その他にも、今回の体験と読んだ本の内容を照らし合わせて、以前は知らなかったり信じていなかったことでも、これはあるかもしれないと思うようになったことがあるが、ここでは特に言及しない。


そんな神霊云々の話を抜きにしてもそのヒーリングセンターに行って感じたことは、こんだけの施設をボランティアベースで20年以上に渡り運営しているなんてすごい、ということである。


そこでは、貧しい人に対してだけ、貧しくてかわいそうだからという理由で無償で治療活動を行っているのではなくて、もちろん貧しい人に対してもそうなんだけど、お金がある人に対しても誰にでも分け隔てなく治療活動を無償で行っている。助けを求めている人を全て受け入れるのである。お金のあるなしは関係ないのである。霊の存在を信じる信じないすらも関係ないのである。


Dr.ハンセンはそのヒーリングセンターの存在意義を「amor, amor, e amor(愛、愛、そして愛)」だと言っているそうだが、愛とはこういうことなのか、と思う。


そして自分も助けを求めている人に対しては躊躇することなく手を差し伸べてあげたいと思うようになった。現にここの運営はそういったボランティアによってなされているのだ。



スピリチュアル・ヒーリング体験話しはこれくらいにして、世界一周の旅を終えて感じたことは、これと共通する部分もあるんだけど、物質的に貧しい暮らしをしている人の方が精神的に豊かな暮らしをしているということである。そしてその貧しいと言われている暮らしをしている人は、日本や欧米の物質的に豊かな暮らしにあこがれるんだけど、その「豊か」な暮らしを手に入れたはずの日本人や欧米人が必ずしも幸せかというと、そうは見えないのである。このあべこべの現象はなんなんだろうか?


貧しい人の多くはお金や物がたくさんあれば幸せになれると思っているけど、いざお金や物をたくさん手に入れた人の多くは、お金や物をたくさん持っていない人より幸せには見えない。


物質的豊かさと精神的豊かさは両立できないのだろうか?


物質的豊かさを得たために人や社会は何を失ってしまったのだろうか?


「お金で幸せにはなれないよ」と言うのは簡単だけど、東京で働いて暮らしていればそんな言葉は虚しく響くだけである。でもこの矛盾した現象を見てしまうとこのことが実感を持って感じられる。



ちっ、まとまんねぇー。(つづくかも)

外国人が「日本に長く居すぎてしまった」と実感するのはこんなとき

日本にはたくさんの外国人たちが住んでいます。彼らは自分の国と比べることができるため、日本の長所も短所もよく知り尽くしており、褒める言葉や批判を的確に表現したりします。


日本人だからこそ知らない日本の変なところや、外国人だからこそわかる日本の特徴を上手く捉えたジョークがよく彼らの間を行き来しますが、15年くらい前に日本在住のアメリカ人が作ったジョークで


日本に長くいすぎた…と実感するとき というのが出回っていました。

http://labaq.com/archives/50779932.html より


「ほっとけ」って思う項目もあるけど、日本はいい国だなぁと思う。


10月に半そでを着ている外人に向かって「寒くないの?」と聞き始めるとき


これ笑った。

Visited Countries(最終結果)



create your own visited country map


忘れてたけど、これがあった。最終結果はこうなりました。
どうでしょう。僕が通ったルートがなんとなく見えますか?


visited 45 countries (20%)です。
今回の旅に出る前に行ったことのある17の国を合わせてこの結果。世界は広いですな。


出発前
http://d.hatena.ne.jp/tyuzo/20050822#p1

南米終了後の途中経過
http://d.hatena.ne.jp/tyuzo/20060703#p1

男子29歳

昨日誕生日を迎えた。

朝起きて携帯に入っていた友達からのメールを見て返信したら、これまで生きてこれたことを親に感謝しなくてはと思い「29歳になりました。今まで育ててくれてありがとう」と親に言おうという気になった。起きたら母親が朝食の準備をしていたので「29歳になりました。今まで育ててくれてありがとうございます」と言った。こういうことを真顔でさらっと言える人間になりたいと思うんだけどやはり照れてしまって少し茶化すような口調になってしまった。


日本では誕生日などの記念日にみんなで食事などに行くと誕生日の人がみんなにおごられるのが普通だけど、誕生日の本人がみんなにおごるという国もある。最近行った国ではブラジルがそうらしい。

最初にそれを聞いた時は「げー、何で誕生日なのにみんなにおごんないといけないんだよ」と思ったけど、最近は別にそれもありだなと思うようになった。

なにかの記念日というのはそれをみんなに祝ってもらって喜ぶための日ではなくて、みんなに感謝するための日なのだ。

「今日俺誕生日なんだ。今日まで生きてきたことをみんなに感謝したいから一杯おごらせてくれよ」っていうのも素敵なことだと思う。


エチオピアでは独自のエチオピア暦っていうのを使ってて、今日がエチオピアではミレニアムなんだよね」
照れ隠しのためにおそらく母親にはあまり興味がないだろう小トリビアを披露してあわてて話題を変えた。

20070905, Tokyo, Japan

http://map.hatena.ne.jp/tyuzo/?x=139.5446813106537&y=35.65196975444706&z=12&type=satellite
帰国しました。あぁー、別に帰りの飛行機ではそんなに感じなかったけど、この日記を開いてはてなマップ見てたら「旅が終わった」っていう実感がわいてきた。もうこのマップ上にぽちっと現在位置を登録することはないのかと思うと少しさみしい。